【フランス】レオナール・フジタの礼拝堂~フランスで活躍した日本人画家~

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こんにちは(*'ω'*)

おちゃちゃです♪

 

エペルネーの日帰り旅を終え、

次なる目的地に向かう前に

フランスで活躍した日本人画家に会いに行きます

 

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1886年、現在の東京都新宿区に生まれたフジタは幼いころから絵を描き始める

1905年、高校生の時に画家になりたいという思いがあり、

森鴎外の勧めにより東京美術大学に進む

 

しかしその当時印象派や写実表現が主流となり

低い評価をつけられていた

 

1912年、結婚したフジタはアトリエを構えるもフランス行きを決意

 

1913年に渡仏した藤田嗣治

パリ・モンパルナスに住み、著名な画家と交流していく

しかし渡仏して1年後第1次世界大戦がはじまる

 

日本からの送金がなくなるなど、生活は苦しくなっていく

そんな生活が2年ほど続き、ようやく終戦が見え始めてきたころ

フェルナンド・バレエと結婚

このころから絵が少しずつ売れ始める

 

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個展も開けるようになり、

アンドレ・サルモンが序文を書いたこともあり

終戦時にパリに集まってきたパトロンの目に止まる

 

これが追い風となり名声は一気に広がり

経済的にも成功した画家となる

その後離婚や結婚を繰り返しながら

個展を開くため南アフリカやアルゼンチンに飛ぶ

 

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その後日本に帰国するも日中戦争・第2次世界大戦・太平洋戦争の影響により

フランスでの生活も途切れ途切れとなり

従軍画家として活動することもあった

 

終戦後、戦時中の戦争画が「戦争協力者」と批判されたこともあり

嫌気がさした藤田は再びフランスへ

 

カトリックの洗礼を受けてレオナール・フジタとなり

マムの敷地内に設計と内装をデザインを行った『フジタ礼拝堂』を建てた

 

1968年にがんで亡くなったフジタはここに埋葬された

 

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そんなフランスで活躍した日本人画家に会いに行くべく

フジタ礼拝堂を訪れました

 

激動の時代の中で、それでも絵を描き続け評価された人

 

今は小さな礼拝堂で静かに眠っていると思うと

長いときの流れを感じる時間でした

 

そんな礼拝堂に、是非足を運んでみてください

 

次回はドイツ!?いえ、ここはフランスです、な街に移動します

 

今日も読んでくださってありがとうございます!!

 

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